今日はコンクールについて書いてみたいと思います。

今世の中はまさにコンクールばやり…メジャーなものから、あまり名前を聞いたことのないものまで、それはそれは沢山のコンクールが存在しているようです。世の中の親御さんも、ピアノを勉強していれば小さい時からコンクールを受けるのは当たり前と思っている方もいらっしゃるように見受けられます。(もちろんすべてのかたではありませんが。)

先月開催された群馬県、埼玉県のピアノコンクールでは、高崎の森の生徒さんたちも大健闘しました。10月に行われる本選にむけて練習に精を出している生徒もおります。

 

それで今日は私なりに、コンクールについて日ごろ感じていることをいろいろ書いてみようと思います。少し長くなってしまいましたが、私たちの思いをお伝えできればと思います。

 

 

今から40数年前、はじめて子どもを対象にしたコンクールが誕生し、あれよあれよという間に急成長して全国的な組織になりました。たまたま私が大学でお世話になった先生がその立ち上げに深くかかわっていらしたため、私たち門下生は支部を立ち上げるお手伝いをしたり、審査をお頼まれしたりして、忙しく活動したことがありました。その後双子の出産を機に引退させてもらった私ですが、ちょうど世の中がバブルに突入して子供の数も多く、ピアノがどんどん売れる時代でもありました。

 

それまで若い人が受けられるコンクールというとNHK毎日学生コンクールがありましたが、もっと小さい年齢から気軽に受けられて普段のピアノの練習の目標や指針ににできるようなものを作りましょう…というのが当時設立の目的だったと記憶しています。

 

5歳などという小さい子供が弾くどんな短い曲にも審査員が講評を書いてくれる…(ただし審査員は終わった後目と手が!猛烈に痛くなる。笑)

 

♪地区予選でも様々な賞があり、メダルをもらえた子供はとても嬉しく、普段の練習の手ごたえを感じられたりまた次の目標に向かって増々やる気が出たりする良い教育的効果がある…

 

♪全国津々浦々から予選を勝ち抜いて集まってくる全国大会に残るつわものは相当なレベルの高さが認められることになる。などなど

今では当たり前に思われる事がそれまでには無かった新しいやり方として出現しました。

 

 

「子供のためのコンクール」は、その後時代のニーズにマッチして全国に広がってゆき、課題曲に選ばれた楽譜は売り上げを伸ばし、ピアノの人気も大いに高まりました。

規模が大きくなるにつれて審査員の数もどんどん増えて行き、指導者賞などと言うものがつくられ、沢山生徒を入賞させた先生は、名前が機関誌に発表されたりしました。

 

 

以後、あとに続けとばかりに雨後の筍のように沢山のコンクールやオーディションが全国に生まれ現在に至っています。そしてこのように教える側をも巻き込んで繰り広げられる熾烈な競争のおかげで、この30年ほどの間に日本の子供のピアノのレベルが相当に上がったことは周知の事実でしょう。(勿論他にも幾つかの要因があるにしても。)

ただ最近世の中のこのような傾向をみたとき、私には少し気になることがあります。

 

それは

♪コンクール熱があまりに加熱しているせいか、1年間のべつ幕無しにコンクールを受け続けようとする人がいること、

 

♪また課題が自由曲である時などは、やたらに難しい曲を弾くことが流行になり、それによってより良い評価が得られるという間違った思い込みをする人が多いこと、

 

♪はたまた、万一、落ちると生徒も親御さんも必要以上に落胆してしまう場合がある事…などなどです。

 

いつも申し上げることですが、ピアノを勉強するということは長い道のりをコツコツと歩きつづけることです。小さい時にもっとも大切なことは、大事な基礎的な勉強を積み重ねて、同時に美しい音を聴き分けられる耳を育てることだと思います。三か月おきに様々なコンクールを受けていたら、本当に大切な基礎を学ぶ時間がじっくりとれるでしょうか。

 

コンクールにおいて、小学校3,4年生くらいまでのカテゴリーで30人、40人という子供たちが次々に同じような可愛らしい小さな曲を弾くのを聴いて甲乙を付けなければいけないことは、審査する側としても放棄したくなるくらい大変な作業です。何故ならみんな一生懸命頑張っていることは良くわかるし、受かるも落ちるもほんの紙一重の問題であることが多いのです。受かった子は嬉しそうにしているし、ぎりぎりでダメだった子は泣いていたりして、こんな些細なことで傷ついてほしくないなぁと思ってしまいます。

だってそれぞれ皆間違いなくこれから伸びていく人たちなのですから。そして「こんなことで逆にピアノが嫌いになったりしないでね。」

…と心の中で呼びかけます。

 

また課題が自由なコンクールを受けるにあたって、まだきちんとしたテクニックが身についていないのに、やたら難しい曲を弾くというのも感心できません。テクニック的にも精神的にも背伸びした曲は聴いていても苦しいし、ときに滑稽にさえ感じられてしまう事があります。勿論大人をうならせるほどの完成度の高さが伴っていれば文句は言わないつもりですが、いきなり、少年時代から天才と呼ばれていたランランやキーシンになろうとしても無理が生じます。

 

偉大な作曲家は多くの場合、子どものためにステキな題名を持った美しくてやりがいのある沢山の名曲を作ってくれています。子供である今だからこそ弾いてほしい質の高いそれらの曲に是非沢山出会ってほしいし、謙虚な気持ちでそれらに向き合ってほしいです。そしておうちの方もお子さんがどれだけ難しい曲を弾いているか、ではなくどのように弾いているか、(つまり、どんな美しい音を出せるようになって、どのくらい共感を持ってその世界を表現しようとしているか)を見てあげてほしいと思います。

 

 

私は勿論コンクールというものを全否定するものではありませんし、今でもたまに小さなコンクールの審査をお頼まれすることがあります。

ただし私の考えとしては、子供のコンクールというものは、生徒自らの成長の過程において時々勉強の成果を確認するために、そして自らの成長に役立てるために受けてみるもの…と位置付けています。要するにそこで良い賞を戴くということは、あくまでも良い勉強をした「結果」であり、「目的」ではないということです。

そう考えた時、特に小学生のころは希望するなら2年に一度くらい受けるので充分ではないかと思います。

 

また演奏に関しては、人間ですからうまくいくときもあればいかない時もあります。評価する側も人間ですから、人によって弾き方の好き嫌いがあったりして、審査員の間で評価が全くわかれることも少なからずあることです。

時には弾く順番や、前後の人が素晴らしく弾くか否かによって、評価が左右されることもまったくないわけではありません。勿論審査員はそうならないように最大限努力するわけですが。

ですから受け取る結果は常に、「たまたまその日にその人が弾いた曲に対して、そこにいた審査員が付けた評価であるということ」…これが客観的な事実です。

 

次の日に弾けばまた違った評価が出るかもしれないし、審査員の顔ぶれが変わればこれまた違った結果が出るかもしれません。

なんせ演奏というものは本当は点数には出来ないものなのです。

 

ですから自分自身が普段から一生懸命練習してきたことを心から楽しんで演奏できたと思ったら、大成功と思えばいいのです。そしていい結果が出れば大いに喜び、残念な結果になってもがっかりしすぎることは全くありません。又力をつけていつかチャレンジすればいいのですから。

おうちの方も、常にお子さんがそこに向けて一生懸命勉強したプロセスを誇りに思って、結果にこだわることなくわが子を応援してあげて頂きたいと思います。

      種井 幸子 記

                            

新着情報

 

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ピアノ教室「高崎の森」

発表会

2022年7月9日(土)

シティギャラリー:コアホール

                     第1部 開場 11:15 開演 11:30 ※関係者のみ

                     第2部 開場 14:30 開演 14:45  ※一般公開

 

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