今回の滞在を通して様々なことを考えさせられました。
会う人、会う人、直接被害を受けてない私たちに震災のお見舞いを言ってくださり、こころが熱くなりました。
原発事故に対しては、皆が、「今回の原発事故が、ほかのどの国でもなく、世界トップレベルの技術を持っている国「日本」で起きた・・・ということに私たちはショックを受けているんです。」・・・と口をそろえて言っていました。原発を考えるうえで、この言葉の持つ意味は重いと思います。
サンモリッツは勿論ですが、ドイツ、オーストリーなどヨーロッパの多くの国では、自動販売機などは(駅以外には)置いてありません。一晩中やっているコンビニエンスストアもありません。(景観も厳しく守られていて、道路沿いなどに、色も背丈もマチマチの広告が立ち並んでいることもありません。)
また駅構内や夜の街並みの照明は、日本であったなら完全に「節電のため照明を消させていただいております。」といったレベルの、あるいはそれ以上の暗さです。でも、ウィンドウの中はどこかしゃれたディスプレーで、その薄暗さがかえって魅力だったりするのです。
日本はいままであまりにギラギラし過ぎていたのではないでしょうか?
やたら明るければいい・・・といった、いわば成金主義の何百ものダイアモンドで飾り立てたような電気の使い方をしていなかったでしょうか?
いつの間にか私たちは物の豊かさに慣らされ、身の回りのものも、建物も電気も、すべて作っては捨てる文化に不感症になりはしていなかったでしょうか?
スイスはお金持ちの国です。歴史も文化も日本とは全く違う国で一概に比べられないかも知れませんが、少なくとも経済や効率を第一に考えて美しい自然を犠牲にしたりしなかったことは確かなようです。スイスには実際何基かの原発もあるようです。しかし日本のように大きい地震はありません。それでも今、日本の事故がドイツをはじめヨーロッパの人々の原発に対する考え方に大きな影響を及ぼしつつあります。
そしてまた、こちらに来ると逆に、いかに日本が日常の生活の中で「便利さ」を最重要に考えている国であるか、を実感します。それに慣れて、それが当たり前になっている私たちにとっては、こちらでの生活にある種の不便さを感じることが多々あることも事実です。
私たち日本人がこれからどのような社会を望むのか? 日本には世界に自慢できる良いところも沢山あると思います。だからこそ、美しい国土を一時の便利さとひきかえに取り返しのつかない形で永久に失ってしまっても良いのか、震災と原発事故の当事者である私たちは今立ち止まってよ~~く考えるべき時ではないか? と強く思いました。
帰る前の日にシュナイト先生の奥様が、ドイツで大量に買ってきた飲料の空きビンを集めて「これは持って帰って買ったお店にもどすのよ。」と言っておられ、さすがに環境にこだわりをもつドイツの方だなと感心しました。
先生が下さった野の花の押し花のプレゼントも、楽しかった思い出や沢山の豊かな経験とともに、いつまでも大切にとっておきたい宝物になりました。
帰国後しばらくしてローマン先生から新聞が送られてきました。
見ると私たちのコンサートの批評が載っているのです。またまた心が熱くなりました。
次回にはその抜粋をを掲載します。
種井
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