私が高校で教え始めたある年(もう十数年前のこと)、1クラスだけクラス授業(音楽)を受け持ったことがあります。
クラス授業で音楽を教えるなんて、私にとってはまさに初体験のことでした。
当時はわが子がまだ小学生でしたので、よく授業参観というのがあり、見学に行くと、小学校では子供たちがうるさいぐらいに「はい、はい、はい、」と我先に手を上げていて、教室はまさに活気に満ちていました。
ところが授業中高校生に何か質問すると、「し~~ん」としていて誰も手を挙げて発言しようとしません。
そのとき私は「わずか3,4年の間にこの子達に何が起こるのだろう?」と考えさせられました。
小学生の低学年のレッスンをしていると、子供たちがよく「ねえ、ねえ、先生、ここのところの音が面白い。」とか「ここがきれい。」とか自分から私に言ってきて、ドッペルドミナントや、減七の和音に自然に心が反応しているのがよくわかります。
曲についている楽しいタイトルについてもよく話し合いをします。
小学校一年生が「ラーニング・トゥ・プレイ」をやっているときのこと・・・
それぞれの曲を持ってくる子に
「砂漠ってしってる?」「占い師ってなに?」「サーカスのクラウンて何?」ときくと、小さいのに、もうたいていのことを知っているのに驚かされます。
そしてそこから「前ねえ、サーカスに行ったことあるんだ。楽しかったんだ。その時ねえ」・・・・・と話がとまらなくなることも!
もう完全に楽しかったサーカス見物の世界に入り込んでしまっている生徒!
また、子供たちが弾く小さい曲の中にも、メヌエットやワルツ、ポルカやタランテッラなどなど、沢山の楽しい舞曲も出てきますが、
そんな時「一緒に踊ってみようか!」といって立たせると、小さい子供は面白がって進んで一緒に体を動かします。 ところが、ある年齢以上になると・・・・恥ずかしそうに・・・・おずおずとしていて・・・・
「ロボットじゃあないんだからさ・・・」と私に言わせたりします。
勿論思春期というものがあり、自我に目覚めて悩んだり、時に大人に反抗してみたり、・・・・というのはごく自然な、誰もが通る大切な道でしょう。
そのころに、「人前で恥をかきたくない。」という思いもそれまで以上に強くなるのかもしれません。
(特に日本人は!)
でも小さい子供のころの「何者も恐れない純粋な心、素敵だなと思ったことを素直に感じて言葉にできたり、そこから想像力をふくらませること、そしてそれを感じたままに表現しようとする気持ち」
はいつまでも失ってほしくないなあ・・・と心から思います。
面白いと思ったのは、又あるとき同じ高校生のクラス授業で、学期の終わりにペーパーテストをすることにしました。
すると始めるやいなや、教室中にカッ、カッ カッ・・・と何十人という生徒たちの鉛筆の音が猛烈な勢いで響き始めるではありませんか。
「ははあ、この子達は人前で発言するのは苦手だけれど、ペーパー試験に対しては条件反射的に情熱を燃やすんだな・・・とそのギャップを面白く思ったものです。
勿論高校生や大学生がが駄目・・・と言っている訳ではありません。
ただ時々思い出してほしいんです。
キラキラしていた夢いっぱいの子供のころを!
皆ついこの間まで(私から見れば)子供だったのですから。
種井
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